近江国(おうみのくに)神崎で享保(きょうほう)6年に生まれ、9歳の時に神崎の大徳寺で出家、17歳より行脚(あんぎゃ)の旅に出る。
23歳の2月、ここ龍源寺での修行後、駿河(するが)の白隠禅師に師事する。
一時、病をえて白隠のもとを離れたが再び帰り、29歳で白隠禅師より嗣法(しほう)する。その時、白隠をして「我が弟子百人を超えるが、東嶺に優る者なし」と賛嘆せしめた。
この後、白隠の諸国教化に随侍して布教を助ける。
白隠の死後、師匠と同様に諸寺の求めに応じ、禅の布教に努める。
著書には禅修業の手引き「宗門無尽燈論(しゅうもんむじんとうろん)」をはじめ「白隠禅師年譜」等など多数ある。
書画も白隠に劣らず大胆で、独創的な世界を形成している。
寛政(かんせい)4年 72歳で遷化、朝廷より仏護神照禅師(ぶつごしんしょうぜんじ)の諡号を賜わる。