鈴鹿市白子の禅寺 龍源寺:臨済宗 妙心寺派について

龍源寺について by 鈴鹿市白子の禅寺 龍源寺
当ページ内の画像はいずれも、クリックすることで拡大表示されます。
ぜひご覧ください。

臨済宗 妙心寺派について

臨済宗(禅宗)

お釈迦さまより28代目 達磨大師(だるまだいし)が西暦520年頃、インドより中国に渡り「禅」を広められ、以来中国では「北宗禅」と「南宗禅」に分かれ、さらに五家七宗(ごけしちしゅう)へと分かれました。
この内、日本に伝わっているのは、臨済宗、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)です。

臨済宗は栄西(えいさい)、曹洞宗は道元によってそれぞれ鎌倉時代初頭に、黄檗宗は中国僧・隠元(いんげん)により、江戸時代初頭に日本へと伝えられております。
その後臨済宗は、鎌倉幕府の庇護(ひご)のもとで上級武士僧へと広まり、曹洞宗は一般民衆に広ってまいりました。

臨済禅は、日本の文化史上に多くの影響を与えました。
それが禅文化(建築・庭園・食物・芸術・儀礼・武道)です。

禅文化
建築 金閣寺、銀閣寺、「書院(しょいん)造り」
庭園 西芳寺(苔寺:こけでら)、天龍寺、龍安寺、「枯山水(かれさんすい)庭園」
食物 精進(しょうじん)料理
芸術 墨蹟(ぼくせき:禅僧の書)、水墨画、茶道、華道
儀礼 「小笠原礼法(れいほう)」
武道 宮本武蔵、柳生新陰(やぎゅうしんかげ)流、山岡鉄舟、「少林寺拳法」

妙心寺派

臨済宗は現在14の派に別れ、それぞれが本山(ほんざん)を有しています。
これらは、鎌倉から室町時代に至るまでの期間に、中国の南宋(なんそう)の五山(ござん)制度を模して、鎌倉・京都五山が定められ、それぞれの下に十刹(じゅうさつ)の寺が定められた五山十刹制度の変遷を経たものでございます。

妙心寺

建武(けんむ)4年(1337年)、花園天皇の勅願(ちょくがん)によって無相大師を開山(かいざん:開創者)として創建されました。
末寺(まつじ)は全国に3,400ヶ寺を数えます。

妙心寺には搭頭(たっちゅう)46ケ寺があり、10万坪の境内には七堂伽藍(しちどうがらん)の建物が並び、多くの重要文化財や史跡・名勝指定の庭園、寺宝が保管されています。

龍源寺の歴史


鈴鹿市白子の禅寺 龍源寺:携帯サイト

携帯電話で閲覧される方は
こちらのQRコードを
読み込んでご利用ください。